タイトル[星川清一の瞑想と妄想]


1980年9月20日。
ふう眠い、眠い。
やはり勉強というものは眠くなるものである。でももう少しがんばらなくては。
ただこういった時の特効薬を俺は持っている。
俺は机の引き出しの中から一冊の本を取り出した。
その本のあるページに一枚の写真と一本の鍵がはさんであるのだ。

写真はあの佳代おばさま達と映画に行った日に春川が撮ってくれた佳代おばさまとのツーショットなのである。
この写真を俺は眠くなった時に眺めることにしている。
ああ、春川、佳代おばさま、松下先生、俺もがんばってますよ。

鍵についてはこんな話なのだ。
あの中二の学芸会のあった日、佳代おばさまは俺と松下先生を夕食に呼んでくれたのだった。
そして例の「走れメロス」が話題となった。
佳代おばさまはこうおっしゃった。
「あの時星川君とかおるは本当に抱き合っちゃったみたいだったわね」
「そうなんだよ。おい星川、ちょっと痛かったぞ」と春川。

俺は心の中でこう思っていた。
「はい実はね、おばさま俺はあなたを思い浮かべていたのですよ」と。
ただしあたりまえだがその事は言わなかったが。
それからもう一つのあのかおるが十字架にかけられるシーンだが佳代おばさまは
「あの場面、何か劇が止まってしまったみたいだけどどうしたのかしら」と聞いてこられた。
「ああ、あれですか?あれはね、春川君があまりにもピッタリ、
型にはまっていたのでみんな圧倒されてしまったからなのですよ。」と俺は心の中で答えていた。
もちろん、本当の事などは言えやしない。

「あれは俺がセリフを忘れたのです」と言っておいた(事実俺はセリフを忘れてしまったのだ)。
そしてもし本当に春川が縛られたりしたら、佳代おばさまなら気絶されてしまうだろうな、とも思ったりした。
その夜は佳代おばさまと松下先生はワインを飲まれていたのだが、佳代おばさまはちょっといやだいぶ酔われたのか
「私、今夜は歌いたくなってしまったわ」と言われ
「瀬戸は日暮れて、夕波、小波・・・」と
「瀬戸の花嫁」を歌われた。それはとてつもなくうまかった。そして佳代おばさまは美しかった。

俺もやや悪ノリして
「ではピンクレディ―をやります・・・」といってフリつきで歌ったがこれがバカウケした。
特に松下先生はゲラゲラ笑って、
「本当に面白いかっこうね」とおっしゃった。
その次に春川が

「僕は歌も踊りも楽器も苦手なので、これをやるよ」と詩の朗読を始めた。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
ぼくはあの時ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風がふいてきたもんだから。
母さん、あの時向こうから若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚半に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどたうたうだめだった。
・・・・・」

と、とても胸にじんとくるいい詩だった。
西条八十という方の「麦藁帽子」という詩だということだった。
そして俺は言った。
「まあ本当の所はよくわからないが、その若い薬売りというのはそのお母さんに一目ぼれしてしまったのかもしれないぞ」
続けて言った。
「おばさま。もし春川君が帽子を渓谷に落としたら俺を呼んで下さいね」と。
「ええ、ぜひお願いしますわ」と笑われた。

あの時は俺の気持ち通じたかな、などと思ったものである。
そしてその夜の帰り際に佳代おばさまは二本の鍵の一本ずつを俺と松下先生にお渡しになり
「これはこの家の玄関の鍵です。あなた達はもう家族も同じです。これからもかおると私をよろしくお願いしますね」とおっしゃったのである。
これがこの写真と鍵のお話である。

そしてこれらを閉じていた本はあの夜春川が読んだ西条八十の詩集で、
中学校を卒業する際に俺が野球部で使っていたバットと交換したものなのである。
いつもならここで目はさめるのだが、今夜は何か却って眠くなってきた。また頭も痛くなってきた。
まあいいや。きょうはもう寝よう。一日ぐらいいいだろう。俺と佳代おばさまの結婚式の夢でも見たいな。
夢なのだから何でもいいよな。

ああ何という悲劇であろう。
この日はあの春川邸で佳代夫人と井川のおぞましき結婚披露宴が行われていた日だったのである。



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